高橋 廣敏 teacher

講師よりメッセージ

現代文の評論を読むことは、異質な他者との対話とも言えます。対話の中で他者を知ると同時に、他者の他者としての自己を知ることもできるのです。
 また、小説を読むことは、時間と空間を超越し、異邦の地へと旅立つこととも言えます。自分も登場人物の一員になったかのような気分で物語の世界に紛れ込み、様々な人物と出会うことは、自分を見つめ直す契機になるはずです。
 そして、小論文を書くことも、立ち止まって自分を俯瞰的に眺める営みと言えます。「文は人なり」という言葉がありますが、文章には人格が表れます。自分の文章を読むことは、自分で自分を認識することに他ならないのです。
 実際に異国へと旅立ち、異邦人と出会う、あるいは、自らが異邦人となることは、自己の対象化につながる貴重な経験ですが、文章を読んだり、文章を書いたりすることも、時空を超越した一種の旅であり、自己を相対化し、知性をアップデートする経験になります。

指導のポイント

 現代文も小論文も「好きになる」ことが「できる」ための近道です。「できる」ようになれば「好きになる」と思っている人も多いと思いますが、その場合は「できる」ようになるために、あらゆるサポートをします。
 君自身が考える「できる」とは、どのような状態でしょうか? 授業では、「わかったつもり」ではなく「本当にわかる」こと、「できるつもり」ではなく「本当にできる」こと、さらに「説明できること」を目標にします。
 実は「本当にできる」ようになる究極の方法があります。慧修会では、その方法も実践的に取り入れます。効果は授業で実感してください。
 また、僕は君たちの「知的好奇心」に火を灯し続けます。「知らないことを知る」「わからないことがわかる」「できないことができる」ことは、本来とても楽しいことです。
 君たちが「知ること」の喜び、「理解すること」の喜び、そして「思考すること」の喜びを実感してくれることが、僕の喜びです。

講師を目指した理由

 小学生の頃から塾が好きでした。学校で教えてくれないことを教えてくれたし、自由な雰囲気があったからです。チューターの学生が、時々(景品の)チョコレートをくれたのも良い思い出です。また、大学生の時に家庭教師をしたのですが、最初の生徒が高校で最下位から一位になったのを始め、生徒が全員希望を達成したことが、(錯覚かもしれませんが)「自分は教えることに向いているのかな」と思うきっかけになりました。さらに思い返せば、受験生時代に通った予備校の講師が授業中にしてくれる話(雑談)が面白かったことにも影響されています。大学卒業後、小さな出版社に勤めたのですが、やはり「教えてみたい」という気持ちには逆らえず、同僚に「予備校講師になる」と宣言して辞めました。しばらくは(やることもなく)海を見に行ったりしていたのですが、友達に誘われて小さな塾で教え始め、その後、自分が通っていた予備校で講義をするようになりました。